Japan-Bhutan Friendship Association

テーマ:
セッションA「ブータンの地域言語と文化的多様性」(発表者:高橋洋)
セッションB「ブータンの情報化に係る諸様相: 序論」(発表者:藤原整)

日時:
2012年12月16日(日) 10:00 – 11:30

場所:
国際協力機構研究所(JICA研究所) 2階 セミナールーム 202AB

会費:
500円

※恐れ入りますが、資料印刷費等のため、本会議と別会計となります。
※上記金額で、AB両セッションにご参加いただけます。
※時間内の両セッション間の入退場は自由です。



セッションA「ブータンの地域言語と文化的多様性——van Driem言語分布図再検討」

発表者:
高橋洋(ライター、編集者)
早稲田大学文学部卒業後、出版社勤務の後1年放浪。本職はデジタル関係だったがマイノリティー文化への関心もあって旅行関係の仕事も手がけるようになり、1989年より『地球の歩き方ブータン』の取材、執筆、編集を担当。ライフワークとして地理データベースを使ってブータンの地域文化や歴史の分析をする作業に取り組んでいる。

概要:
1989年に始まったゾンカ普及委員会の調査以来、ブータンには17種類の歴史言語が存在するとされています。「村ごとに言葉が違う」と言われるブータンですが、ブラック・マウンテンより東ではレプチャ語、ロプ語(Lhokpu)を除く15言語が入り乱れているのに対して、西部はゾンカ(ガロン語)とその方言による比較的均質な言語状況であるというように、その分布状況には地域によって大きな差があります。文化史や地域文化に関する文献資料の少ないブータンにおいて、現在の言語分布は、その謎を解くための重要な手がかりであると言えるでしょう。
諸言語の分布域については、ゾンカ普及委員会が分布図を作成しており、共同研究者であるvan Driemの諸言語分布図として知られており、現在も用いられています。しかしながら、当時の地図は不正確で、また現在とは県境などが違うこと、すでに調査から20年以上が経過しているにもかかわらず、その間の研究の成果が反映されていないことなど、いくつかの限界があることがわかっています。今回、より詳細な言語分布の検討と、van Driem分布図の再評価を行った結果、原図ではわからなかった興味深い事実がいくつも判明した一方で、新たな謎がそれ以上に見つかりました。今回の勉強会では、その経過を報告すると同時に、さまざまな観点から「言語分布の謎」について討論していきたいと考えています。

検討テーマ:
(1) 現在の言語分布は、概ね西部がゾンカ系、中部がブムタンカ系、東南部がツァンラ系となっているが、いずれもヒマラヤ山脈の北側に起源をもつ言語、あるいはその影響を強く受けた言語であると考えられる。だとすると、この3主要言語はそれぞれ、いつごろ、どのような経路で現在のブータンに入ってきたのか。
(2) 17言語はチベット語と近い関係にあると考えられるものと、まったく別の起源をもつものに大別することができ、前者はチベットからの移民の言語、後者は先住民の言語に由来すると考えられている。しかし、それが人口移動(移民)の結果なのか、あるいは文化受容の結果なのかははっきりしていない。チベット語系の言語が主流となったプロセスをどのように考えるか。
(3) 東西の言語分布の差は17世紀のドゥク派による国内統一と、それに続くシャブドゥン体制の影響が大きいであろうことは想像に難くない。逆に言えば、現在の言語分布は、その歴史的(政治的)プロセスを物語る資料でもある。現在の言語分布をどこまで歴史文献で説明できるのか。
(4) ゾンカに近いチョチャガチャ語やメラ=サクテン語は、それ以外の言語の分布域の中に飛び地状に分布している。このことをどのように説明できるのか。
(5) 言語域は国境によって分断されるとは限らず、実際にダクパ語(Dakpakha)、メラ=サクテン語(Brokpa)、ツァンラ語などは国外にも話者がいることがわかっており、ゾンカもシッキム語と近い。ブータン国内の諸言語は近隣地域の諸言語とどのような関係にあるのか。
(6) 諸言語のうち、ロクプ語(ドヤ語)、レプチャ語、オレ語(ブラック・マウンテン・モンパ語)、セプ語、ブロカット語(ドゥル語)、ゴンドゥビ語などはいずれも話者1000人以下の消滅懸念言語である。文化的多様性の尊重という観点から、これらの言語に対して今後どのようなアプローチが必要なのか。
(7) 「ネパリ」は本来は母語ではなく、共通語(リンガフランカ)として普及した言語である。言語調査上ライ、タマン、リンブー、シェルパ、クルクスなど多様な言語が言語調査の上では「ネパリ話者」としてひとくくりにされているが、実状はどうなのか。
(8) 20世紀後半の「ネパリ」とゾンカを除けば、特定の言語やその話者集団が一定の帰属意識をもち、政治的な勢力を形成したことがない、つまり言語ナショナリズムの不在がブータン言語史の特徴だと言える。一方、近代化以前には特に中部・東部において階級社会が存在したと思われる。地域言語としてでなく、支配階層(貴族)、農民、奴隷といった社会階層と言語の結びつきはなかったのか。
(9) 1989年の言語調査では各言語の話者数も発表されている。しかし、その数字は県別、群別の人口などから推測できる話者数と一致しないと思われる。もしそうであると、それはなぜなのか。
(10) この時期にブータン政府が言語調査を行った意図はなんだったのか。また、その背景となるブータン政府の言語政策とはどのようなものなのか。

参考:
ブータンの諸言語については以下のサイトが参考になります。

●西田文信「マンデビ語初期調査報告1」
http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/irwg10/Jinbun38-08.pdf
※ブータンの諸言語について日本語で簡単に解説されています

以下の2資料はブータンの諸言語を網羅してますが、どちらもキリスト教団体が布教のために作っている資料なので、情報の信頼性に若干問題があります。

●Ethnologue:Language of Bhutan
http://www.ethnologue.com/show_country.asp?name=bhutan
※諸言語の基礎資料

●Asia Harvest:Bhutan
http://asiaharvest.org/index.php/people-group-profiles/bhutan/
※各言語集団の文化的解説



セッションB「ブータンの情報化に係る諸様相: 序論」

発表者:
藤原整(早稲田大学 社会科学研究科 博士後期課程)
コナミ(株)退職後、大学院に進学。「ブータンの情報化」をテーマに修士論文を執筆し、修士号を取得。現在、博士課程に進学し、同テーマについて研究を続けている。GNH研究所研究員。自身も代表理事として運営に参加している個性派ライターコラムサイト「JunkStage」にて、ブータンに関するコラムを執筆中。

概要:
ブータンの情報化は、1999年、テレビとインターネットの解禁が転機となり、また、2003年の携帯電話サービス開始を経て、急速に進んでいきました。2011年末時点で、携帯電話の普及率は68.4%まで達しています。こうした急激な変化が、ブータン社会に何らかのインパクトを与えていることは間違いありません。本論では、情報化に係る諸様相として、「政策・法律」、「通信・メディア」、「産業・インフラ」、「文化・社会」という四つの分野について概説していき、その影響や課題について議論・考察を深めていきます。例えば、情報通信に関する機器の輸入のみならず、技術指導者の派遣、通信インフラ整備の費用負担など、ヒト・モノ・カネの大部分を、隣国であるインドをはじめとした諸外国の支援に頼っているのが実情です。このような他国依存の体質は、国家の安全保障上の大きなウィークポイントになる可能性もあり、熟慮していく必要があります。
一般に、これまでの情報化社会論は、最先端技術が導く未来社会を想定し、工業化社会の後に訪れる社会として「情報化社会」を定義してきました。しかしながら、ブータンは、国民の多くが農耕牧畜民であり、また、その他の産業についても、水力発電事業あるいは観光業が主であり、工業に類する産業がほとんど育っていません。さらに、ヒマラヤ山麓に位置する山岳国家という、極めて特異な自然環境を保持しています。このような環境下においてブータンが歩んできた情報化の道筋は、これまで論じられたことの無い、極めて特異なかたちであったと言うことができます。グローバル社会の中で、ブータンの情報化が、今後どのような意味を持ち得るのかを明らかにすること、それが本論の最終的な狙いです。