Japan-Bhutan Friendship Association

幹事 矢部哲雄

 私は1999年5月~2002年8月の3年3ヶ月間、JICAネパール事務所に勤務したが、その間ブータンのことは全く視野になかった。接点がまるでなかったからである。唯一あったとすれば、年に一度バンコクで開かれる南アジア事務所会議にて、ブータン事務所長の森さん(現日本ブータン友好協会副会長)と会った時に、多少のブータン情報はいただいたが、遠い世界のことのようにしか感じられなかった。

 それが2006年3月にまさか自分がブータン事務所勤務になろうとは、思いもよらなかったし、驚きでしかなかった。ネパール勤務者が何故かブータンに行くことが常となっていたが、実際にはヒマラヤ山麓と言う以外にネパールとブータンの共通点はほとんどない。それに両国の仲があれほどに悪いということも、ブータンに生活して初めて知った次第である。

 前置きはそのくらいにして、ブータンでは3年3ヶ月を過ごし、実に多くの経験をさせていただいた。特に、国交20周年記念行事が執り行われたこと、第4代国王が皇太子に譲位したこと、民主化初の国政選挙が実施されたこと、第5代国王の戴冠式が挙行されたこと、青年海外協力隊派遣20周年記念行事が執り行われたこと、JICA関係者が急病で亡くなったこと、等は強い印象が残った。また、当時の榎インド大使(現日本ブータン友好協会会長)はブータン大使も兼ねておられ、2回ブータンにてお迎えしたことも思い出深い出来事であった。

 ブータンでの生活で最も大事なことは、いかに適した住居を探せるかが実に大きな要素となる。ただし、自分の場合は全く苦労することなく住み着いた。大家さんが農業省畜産局長のTenzin Dhendupさん、この家は実に大きく、部屋が7つもあって、単身の自分にとっては2部屋以外は空き部屋でもあった。この家は実は森さんがおられた頃に、Tenzinさんが森さんのために建設したもので、それが森さんの後任の杉本さんを経て、私が引き継いだものであった。

 Tenzinさんは実に面白い方で、局長でありながら非常に気さくで、Tenzinさんの周りはいつも笑いが絶えなかった。よくご家族の家にも招待され、女系家族の中の唯一の男と言ううらやましい実態を拝見もした。当時は自分はスモーカーで、喫煙が禁止されたブータンにおいてたばこを入手するのが至難の業であったが、Tenzinさんは「いつでも言ってくれれば2日間で調達する」と豪語した。一度だけ、手持ちがなくなってTenzinさんにお願いした時に、まさに2日後にいただいた。公務員の局長がいいのかなー、ではあっても背に腹は代えられなかった。お蔭で充実したブータン生活を過ごさせていただいた。ブータンを引き上げる2009年6月までTenzinさんには言葉もないほどにお世話になった。

 JICAが目指すブータンへのODA(政府開発援助)の最重要分野は農業で、これまでに農業分野を中心に支援を継続してきた。ダショー西岡はその先鞭であり、以後も耕運機の供与、農道の建設、農作物の増収、農業機械化の促進、灌漑施設の充実、他多くの実績がある。よって、JICAが最も交流が強かったお役所が農業省であり、特に幹部の方々とは非常に親しくお付き合いをさせていただいた。Tenzinさんもそのお一人であった。冨安専門家が2007年に外務大臣表彰を当時の麻生外務大臣よりじきじきに授かった時には、ブータン農業大臣以下幹部全員がお祝いのパーティーを開催して下さった。ともかくブータン農業省は我が国に最も近いお役所であった。

 2009年6月にブータン勤務を終えて後、昨年10月にそのTenzinさんが来日するとの情報を得た。既に農業局長に昇進していて、用務は大阪にある耕運機の製造会社を訪問すること、その後に東京に見えた休日に都内を案内することを無理にお願いし、承諾いただいた。Tenzinさんに同行した農業省パロ農業機械化センター所長もご一緒となった。せっかくの機会なので、森さんにも声をかけ、4人で行動することとなった。

 当日の朝、汐留の高層ホテルにて4人が合流、さてどこを案内しようか、色々考えたが、浅草、隅田川下り、東京タワー、皇居、秋葉原、等など、しかしながら日本訪問の経験豊富なお2人には、都内名所には興味を示さず、3つの提案を受けた。意外な内容に耳を疑ったが、もちろんそれを実現すべく、最善の努力をすることとした。

 1つ目は、最も優先度の高い買い物、「ユニクロ」の案内である。新宿駅西口のユニクロは特に外人に人気があり、その日も中国、韓国、欧米からの客が日本人を圧倒するほどであった。恐らくであるが、安くて良質、特にヒートテックはチョー有名、ブータンではユニクロブランドは一流品であり、そのお土産は最高の格付けとなっている。お2人は長い時間をかけて、篭にいっぱいのヒートテックを詰め込んでいた。家族、親せき、友人にプレゼントする夢を詰め込むように。

 2つ目は、実に意外なことに「吉野家」での食事であった。確かに安くて美味しいが、あれは日本のサラリーマンの食事、まさか外人がねー、かつベジタリアンの多いブータン人がねー。遠慮しているのではなくて、本当に美味しいと信じているようで、喜んで案内した。近くの吉野家で、牛丼並、味噌汁、タマゴ、サラダ、彼らは実に美味しそうに食していた。日本の代表的大衆食がガイジンに受け入れられる実態を垣間見た。

 3つ目は、娘さんにブーツを買いたいとの厳しい要望、つまりはどこがいいのかを承知していない自分としては、考えあぐねた末に、若者の街「原宿の竹下通り」なら間違いないとの思いに至った。流行の最先端でありながら決して高価ではない(と想像して)。通りは当然ながら若者ばかり、当方のようなオッサン4人が歩くところではない。自分1人だったら絶対に行かないところ、でも何とか娘さんのためにと思えば、恥じらいなんて微塵も感じなかった。店に入って若い店員にあれこれ聞いては、当人に確認、それを数軒繰り返して、ABCにてやっと希望のブーツを購入した。

 以上、4人のオッサンが休日の都内を闊歩した様子をご紹介した。この3つの案内を通して、特にブータン人の日本への期待の在り処が読めたように思えた。いずれも日本を代表する現代の有名な名前であり、値段が安く、品質が高く、日本人でさえ評価の高いブランドである。ティンプーでは「ユニクロ」の名前は高級品として定着している。「吉野家牛丼」の名前もかなり浸透しているようだ。「原宿」はブータンでも若者に人気がある。

 今後ブータン人が訪日した際は、品質がよく安く有名な上記3つを案内しておけば、まずは間違いなく感謝されることだろう。他に有力な案内候補としては、「回転寿司」「立食いソバ」「ヨドバシカメラ」「浴衣」「鍋料理」などがある。ブータンからの来客には、是非とも温かい「お・も・て・な・し」で迎えてはいかがでしょうか?

コメントは受け付けていません。