Japan-Bhutan Friendship Association

幹事 矢部哲雄

 仕事が忙しい時は、心身共に充実していないと、質も量も低下します。あまりに忙しいと、惰性で仕事をする感覚に襲われます。それまでは諸々の作業が膨大にあって、土日なんかないも同然でした。最近になってやっと自由な時間が取れるようになり、これまでの疲れを癒すべく、思い切ってバンコクに行ってきました。8ヶ月前のことでした。

 在外勤務(ネパール、ブータン)の時に行き慣れた街で、ゆったり過ごせるのがバンコクの魅力ですが、今回はブータンの大親友に会うためでした。それはMr. Kesang Wangdi、私がブータンにいた時の外務省二国間局長で、一番大切なカウンターパートでした。今ケザンさんは在タイ国ブータン大使に昇進され、約1年半になります。彼には本当にお世話になり、日本をひいきにしていただき、全ての懸案が穏便に解決されたものでした。

 前からバンコクに来るようにと言われており、今がチャンスと思いました。ケザンさんに連絡したら、大使公邸にてブータン料理を用意するから、是非とのことでした。飛行機とホテルを予約し、日程をお知らせしたら、何と空港とホテルの間の移動は大使館が準備するからとのことでした。当方は完全な遊びなので、それは固辞したのですが、ガンとして引き下がらず、結局はお願いしました。

 で、バンコク空港に朝5時に着いて、入国手続きを終えて、ターンテーブルに向かおうとしたら、そこに大使館の運転手がおりました。事前に顔写真を送っていましたので、運転手はそれを見ながら私と確認したのでした。外交特権があるので、こんな中まで入れるのですね。迎えの車、大使車のベンツでした。人生初めてのベンツでした。何と言う待遇、そこまでやるとはブータン人は何と義理堅いことなのでしょうか。

 大使公邸にはネパール事務所で一緒だった友人の三好さん(JICAタイ事務所企画調査員)と一緒に行きました。ケザンさんの強い希望でして、多分JICAタイ事務所との関係を持ちたいとの意向があったように感じました。公邸は高級住宅街の高層マンション、250㎡にご夫人と住んでおられ、室内はブータン伝統の文化一色でした。ご夫人とは5年振りの再会でした。

 ケザンさんとの思い出は沢山あり過ぎて何を書こうか迷います。週に最低2回はケザンさんの執務室にお邪魔し、全ての課題に真摯に助言をいただきました。織田信長が大好きで、何かと言うとすぐに彼の名前を引用していました。生粋の外交官で、曲がったことは大嫌い、ブータンを管轄する在デリー日本大使館の幹部と激論を交わし、一歩も譲りませんでした。青年海外協力隊員に理解を示し、共に食事をしていただきました。ケザンさんの風貌はまさに日本人、俳優の藤竜也によく似ていました。

 実はケザンさんからは、公邸に泊まらないかと事前に打診を受けました。確かに素晴らしいマンションであり、ご夫人と2人ですから、私1人なんか余裕で泊まれそうでした。でも強く遠慮しました、何故なら自由行動ができにくくなって、リラックスのはずが気を遣い過ぎて疲れることが目に見えていましたから。

 他にわざわざ公使(当時は副儀典長)も見えて、和気あいあいに色々な懐かしい話になりました。中国との領土問題、ブータンでの雇用問題の深刻さ、犯罪の多さ、新しい政府、等など、面白い話しばかりでした。そうやって話しているうちに、まるでブータンにでもいるような錯覚を覚えました。

 そんなで3時間はアッと言う間に過ぎ去りました。帰りにはヤマほどのお土産をいただきました。次回は家族ともども公邸に泊まるように厳命をいただきました。家族は既にケザンさんご夫妻に会っておりました。そんなことでケザンさんとお別れしましたが、その後も数回電話で何か問題は無いかと聞かれました。帰りの日、早朝にも関わらず空港までも公用車を出していただきました。

 何を申し上げたいかと言いますと、ブータンの方々はそれほどまでにいつまでも丁寧に対応していただけるのですね。もう既に昔のポストからは無縁ですし、仕事の上でも全く縁がありません。なのにこれほどまでに対応していただくことに感謝の言葉もありません。

 ケザンさんは二国間局長の次に観光局長になり、ブータンの観光の振興にご尽力されました。特に観光フェアが日本で開催された際に2回も訪日されました。その時に仕事を休んでご案内もしました。それを感謝していただいたのかも知れません。でも当方としては、ブータンでの言い尽くせない程にお世話になったことへのお返しとして、ほんのわすかを実践しただけに過ぎません。

 ケザンさんが特別なのかもしれませんが、これほどまでに義理や恩を忘れないで行動する姿に感動した次第です。一方の日本人は、そこまでしないでしょうし、気持ちはあってもそこそこの程度だと思います。やはりブータンは特別の国なのでしょう。日本人にとって、実に心地よい国と今さらに思えます。

 今はアフリカ・ザンビアの給水案件を担当し、現在は詳細設計、その後に本体工事となります。それが完工するのが1年半後の平成28年7月、それまではなかなかお休みはいただけません。でもそれが終わったら完全リタイアですから、その時はゆっくりとブータンとバンコクを好きなだけ徘徊するつもりです。以上、バンコクでのブータン人との再会をご報告いたしました。

 蛇足ですが、私がバンコクを出発したのが5月20日の午前、羽田に着いたのが同日の夕刻、荷物を受けて外に出たら、フジテレビのインタビュー、バンコクの治安はどうだったかと聞かれました。何もなく平穏と答えましたが、しつこく食い下がられました。でも何もなかったのでそれ以上の答えはありませんでした。後日になって、ちょうど20日の未明に戒厳令が出されて、後にクーデターにつながりました。そうか、それでインタビューだったのか、と理解出来ました。それを考えると、何と運が良かったものかと安堵しました。

 タイではクーデターはしばしばありましたが、その都度プミポン国王が裁定して危機を乗り越えてきました。以前よりブータン国王とタイ国王が世界で最も優れた国王と信じて疑いませんでした。今タイ国王は体調が非常に危機的状況にあるとも言われています。それが国内を混乱に導いていることも事実です。翻ってブータンは、若き第5代国王が健在で国民の全幅の信頼を得ております。それは第4代国王が早くに皇太子に譲位したことと無縁ではありません。タイ国王の現状を考えた時に、ブータン第4代国王の先を読む洞察力のすごさを感じない訳には参りません。

yabe
写真:左のお2人が在タイ国ブータン大使Kesang Wangdiさんご夫妻、その右が矢部、右端は三好さん

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