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December 30, 2005

皇太子殿下、公式協議へ初のご出席

12月28日(憲法関連ニュース)
今週は、まるでブータンの過去と未来の分岐点のようである。ジグメ・ケサル・ナムギェル・ウォンチュック皇太子殿下がクルテ谷で憲法草案の協議を仕切られた際、われわれは何か深い郷愁を感じずにはいられなかった。それもそのはず、この地は、ブータンの歴史上非常に重要な土地であり、ブータン王国創世にまつわる神話が眠る土地なのである。

12月24日、この日は非常に張り詰めた朝を迎えた。皇太子殿下は、聖職者、役人、国民に導かれ、ドゥンカル谷に面した会議場へと入られた。ルンツィ4家の子孫である、約3000人の代表が、清めの儀式を執り行い、ジグメ・ナムギェルの直系の子孫であり、テルトゥン・ペマ・リンパの19代目の生まれ変わりである皇太子殿下のご多幸ををお祈りした。
正式な協議開始前に、皇太子殿下は人々に対して、ブータン王国はいまだかつて無い平和、安定、そして繁栄を謳歌しており、これはブータンの象徴でありブータンが成し遂げてきた事業に責務を負われた国王陛下のご存在に帰すところが大きいことを述べられた。「私は、ブータンの主権のおよび安全が最大の危機にあった2003年を乗り越えた際に、国王陛下が発表された声明を再度述べたいと思う。ジグメ・シンゲ・ウォンチュック殿下ほど、類まれなる国王はブータン史上いまだかつて存在せず、そしてこれからも、さらに優れた指導者が現れることは無いであろう。私個人にとって、国王陛下とは、国王であり、教師であり、思想の源泉であり、そして、師なのである。」
 
 続けて、皇太子殿下は今年のナショナル・デーの国王陛下の声明文について触れられた。「あの日より、私は耐え難い悲しみを感じるようになった。この悲しみとは、あなた方国民が私とこの悲しみを共有しなければならない、という事から生じているのだ。私は確かに国王陛下の長男、つまり皇太子の地位にいる。しかしながら、私は人生でいまだかつて一度も自分自身を皇太子として考えたことは無い。私の頭に常にあったことは、私は国家と国民に使えるべき、ひとりの人間である、という事なのだ。」

 2004年、皇太子殿下がトンサ・ペンロップに就任された際も殿下は、その就任は彼にとって大きな変化をもたらさないことを述べられていた。というのも、殿下は皇太子であろうと、トンサ・ペンロップであろうと、ひとりの一般市民であろうと、国王と国家に仕えるというその義務には、なんら変わりが無いためである。
 皇太子殿下は、殿下ご自身とルンツィの民が席を共にし、憲法に関する協議を深めることは憲法をより強固に、そしてより良く、国家と国民にもっとも適した形にしてゆくための国王陛下のご所望である、と述べられた。
 協議が開始すると、Jarey地区の老人が国王の65歳定年制はブータン建国の父たちが築いてきた伝統に反する、との意見を提出した。これは、ブータン王国が現在の姿なりえたのは、動的で、自立性が強い王国という制度ゆえであり、ルンツィの民は同条項の不適切さを指摘したい、という意見である。
 Menje地区の代表も同様の主張で、国王陛下が退位されると言う事は、ブータンの子供たちから偉大なる守護神を奪うようなものだ、と述べられた。
 これに対して、皇太子殿下は国王陛下のお言葉を用いて以下のように説明された。ブータン国王の最大の使命は、国民の幸福の最大化と言う一点に常にあり、その能力を最大限に発揮して国民の利益に仕える必要がある。しかしながら、年老いていては、国王として、国家と国民のためにもはや最大の能力を発揮できない、と言うのである。ゆえに、この条項は、民主主義制度において、国民と国家の利害を守ることがより重要になった際の王国の未来をすえて形成された、とのべられた。
 第4条、文化の項に関して皇太子殿下はブータンにおける文化の重要性について言及された。殿下によると、文化は未来に非常に重要であり、その責任はブータンの若者の双肩にある、と追加した語彙権も述べられた。
 第5条、環境の項に関して、ある地区長はこの項自体を歓迎する旨を伝えた。と言うのも、現在の人口増加をかんがみると、憲法に記されているように国土面積の60パーセントを森林として保護することは困難になる、と考えられるためである。
 皇太子殿下は、ブータンが環境保全に貢献しているという事は国際社会でも有名であり、ブータンは国家のため、そして世界のために、脆弱な生態系保全に成功してきている、と述べられた。そして、経済発展および人口増加に伴い環境への直接の影響が目に見えて発生していることを、国民が懸念している事に関しても言及された。ブータンの最大の収入源は水力発電にある。ゆえに、もし環境が破壊されるようであれば、ブータンの土地、故郷、そして繁栄、これらのどれもが危険に犯されるのである。そうなれば、ブータンは今日、近隣諸国が直面している脅威に犯されてしまうのである。ゆえに、憲法において環境を強化し保全することは不可欠となる。
 第7条は、基本的人権に関してである。皇太子殿下は、自らが海外留学された際に複数国の憲法を学んだことを例に挙げられて、ブータン憲法のように包括的に権利を規定している憲法はない、と指摘された。皇太子殿下は、国民がこのように憲法で保護された権利を楽しむと同様に、次の第8項を心に留めておかなければならないことを述べられた。第8項は基本的義務についてである。憲法が人々のニーズや大志を満たすためには、責任を負わなければならないのである。もし、責任が伴わないようであれば民主制の未来は非常に不確実となってしまう。
 クルテである家族の代表として出席した少年はブータンがインフラ整備に関して海外援助に依存していることに関して、次のような提出を行った。現在の社会・経済発展を考慮すればこのような援助は将来的に断ち切り、ブータンは経済的自立を果たすことができる、というのである。もしそうなれば、政府は教育および保健を無償で提供し続けることができるのか、というものであった。
 これに対する殿下のお答えは以下のとおりである。歴史を振り返れば、政府は保健と教育、特に優秀な学生に対しては大学院レベルの教育まで無償で施してきた。このことからも、国が成功していれば、この方針の継続は可能である、ということである。ゆえに、もし人々が保健・教育の課題を重要と認識し、ブータンの繁栄を望むのならば、人々は民主制度において、自らの役割を果たさなければいけないのである。これは、究極的には人々自身が、国民に対して有能であり、愛をもつ指導者を選出することを意味する。そのような政治家や官僚が国家に奉仕してこそ、社会・経済発展は加速し、政府はさらに良好な保健と教育を提供することができるようになるのである。
 しかしながら、もし国民がその代表の出に失敗すれば、社会サービスが滞るだけでなく、国の未来すら危うくなっていくのである。
 第17条は政府の形態についての条項である。これに関して、Tangmacchu地区代表は、なぜひとつの県からひとりの大臣しか選出できないのかを質問した。
 これに対しては裁判所長官が返答した。この条項は、ガバナンス制度において監視・評価を可能にし、将来的には首相たる人物が地縁や自らの利害関係に基づいて、特定の県から大臣を選出できないようにするためである、と述べた。これはまた、国家において地域的・民族的バランスを保つことにもつながり、より多様性に富み、そのうえで大臣の出身地が特定の県に偏らない政府を構成することができるようになるといえよう。
 第18項は野党に関してである。ゴムチェン(在家僧)のGangzurは、野党の役割は政府および与党が憲法の条項に従って国政を導くこと、つまりグッド・ガバナンスを遂行し国家の利益を守ることにある、と確認したうえで、2大政党制の欠点として、もし与野党の党首が連盟してしまえば憲法で規定された目的は達成されないことになってしまう、と述べた。
裁判所長官によると、野党の存在は、与党が法を遵守した統治を行い、国家の繁栄を促進し、そして、人々の希望を満たすように機能するために重要である、と述べた。一般的に与党と野党の存在は、異なる主張、立場を取るため、共に腐敗することは考えにくい、としている。というのも、もし与党と野党が共謀して腐敗した場合、信頼を失い、次期選挙で国民の関心を失うのは与党だからである。裁判所長官は、人々の存在こそが政党の健全な存在のために必要だというのである。
 
 皇太子殿下は、憲法および民主主義の本質的な成功に重要な要素である議会および政党の条項に関しても言及された。皇太子殿下のお考えでは、世界中の多くの国において、選挙資金の確保は深刻な課題になっている。また、政党は、民間、そして時には外国からの様々な資金供与をうけ、それらに足を縛られることが多いのである。しかしながら、ブータンにおいて、これは懸念されるべき要素とはなりえない。というのも、あらゆる選挙活動は政府の資金により賄われるためである。もちろん、ブータンのような発展途上国にとって、この措置は資金的に困難である。しかし、この制度は政党が独立性および公平を期すために本質的に重要なことなのである。
 皇太子殿下は、自由で公正な選挙実施のために暫定機構を設ける計画であることについても述べられている。あらゆる政党は、選挙期間中、政権の座を退くことが必要である。よってその期間に、暫定機構に対して統治権限を認めているのである。暫定機構はいかなる政策方針変換も認められておらず、その機能は、現存政党の方針を選挙期間と言う特定期間に維持し、官僚制の発達を阻止する、と言う事のみにある。
 
 第25条は、公務員制度に関する条項である。皇太子殿下は、民主主義の導入移行は公務員の役割が、よりいっそう重要になると述べられている。国王陛下により築かれた、小さく、効率的で、専門性をもち、そして独立した組織は、さらに維持され、そして強化されなければならないというのである。公務員は国民の信頼の下、任務を果たす必要がある。
 
 次条は、汚職防止委員会についてである。ペンロップは、現在多くの国が直面している問題を避けるためには、憲法の導入のそのときから、あらゆる汚職は阻止されなければならないという。残念ながらブータンには、すでに汚職があり、その対策はすぐに図られなければならない。一度、根付くと汚職除去は非常に困難であり、ブータンの未来の世代に、より良い国家を残すことは難しい、とおっしゃられた。
 
 皇太子殿下は、協議の場において、軍事力の強化は政府支出を逼迫するため、中止されるべきだとの国王陛下のお考えを述べられた。国王陛下は、伝統的な戦力の導入を考えられている。そして、国家の非常事態には、公務員、村人、ビジネス・マン、女性などの訓練をうけた文民が職業兵士と共に国家防衛の力となるべきだと考えられている。その全兵力は2万に及ぶ計算となる。
 
 協議の終了に際して、皇太子殿下は国王陛下の声明により、幸福と悲観、双方がもたらされたことについて個人的なお考えを述べられた。ブータンは、ブータン史上いまだかつて無い有能な国王の導きの下、数十年にもおよぶ平和および繁栄を謳歌してきた。御年16歳でその地位に就任されてから30数年にわたり、国王陛下は、急速な経済発展および政治的指導の中心的役割を果たしてきた。しかし、この先は、人々自身が憲法を作り上げ、その未来を気づいていかなければならないのである。
 トンサ・ペンロップは国民に対して以下のようにも述べられた。国王陛下は、その地位に就かれてから、常に民主主義の確立のために国民を導いてきた。1981年には県開発委員会が、1991年には地区開発委員会が設立された。さらには1998年に閣議に権力が委譲されて、2001年になると憲法草案委員会が創設された。そして、今、20のすべての県で国民が国王陛下と憲法に関して協議するまでにいたったのである。
 「あなた方の大多数が、未来に対して不安を抱いている事は承知している。私は、そのことはあなた方が自分たち、そして国の未来を真剣に考えている証拠だと考えている。今すべきことは、その懸念を自ら、同志、そして国を守るための行動に変えることである。時間を十分に取り、自分たちの子供の世代にブータンがどのような姿になって欲しいか、考えてみて欲しい。その未来において、偉大なる国王陛下がお築きになられた国家を、恥じるべき形で未来に引き継いでくべきだと考えるのですか?それとも、国王陛下が築かれた基礎の上に、この時代に生まれたひとりひとりの人間として、それに値する未来を築いていこうと考えますか?」
 
 ルンツィの国民は、変化してゆく時代に直面して、郷愁の念にかられた。皇太子殿下は中心的役割をおわれた初の憲法議会を自信に満ちたお言葉で閉じられると、国民は涙を流し、未来への希望を表明した。
 ある、定年を迎えた公務員は次のようにコメントを述べた。「まったく信じられないことです。われわれは、そこに座り、まさしく、歴史が繰り返す、と言う光景を目の当たりにしたのです。皇太子殿下は、歴代国王たちがそうされたように国民に対して未来への道しるべを示されたのです。」
 また、Menbe地区の49歳の老人は次のように述べている。「私は心が一杯です。私は、自分に、いったい何人の人々が未来の国王を目にし、そしてそのお言葉を頂戴することが出来るでしょうか?そのお姿は非常に強く、殿下のお言葉に集中することは困難でした。」
 69歳のDungkar地区のクンサン・ドルジは、これほどまでに幸福な人生はありえない、と考えている。彼はジグメ・ウォンチュック国王を目の当たりにし、そのうえ、ジグメ・ドルジ・ウォンチュック陛下とジグメ・シンゲ・ウォンチュック陛下双方の宮廷に奉仕えたのである。彼はまさか、その次の国王すら目にすることができるとは思いもしなかった。「私は、第五代国王がどのような治世を築かれるのかまったく分かりません。しかし、私は次世代が安心な手のうちにある、ということを確認した死ぬことができたのです。」
 人々の話を聞くに、ナショナル・デーの国王陛下声明はいまだにクルテの谷にこだましているようだった。多くの人はこのニュースにまだまだ深い悲しみを感じているようであった。しかし、協議の後にはっきりとしたことは、まさに、皇太子殿下の存在こそが国民の気持ちをやわらげることができ、そして国民の自信を取り戻すことができるのはブータン王国が永遠である、という思いだということである。
  Dungkar地区のソナム・ウォンモは次のように述べている。「国王ご一家のお姿、そして未来の国王陛下を目にしなければ、こんなにも簡単に私の気持ちが軽くなることはありえませんでした。ブータンの体制は永遠であり、国王陛下により象徴される私たちの体制こそが、私たちの強みなのです。」 
  Jari地区出身、68歳のクンサンはつぎのようなコメントを寄せている。「人々の中から皇太子殿下を拝見し、そのお姿は国王陛下ご自身と重なりました。これは何も私の年老いた目が悪いためではありません。私は始めて国王陛下にお目にかかったときと同じ喜びを感じたのです。だから、陛下のお姿と、皇太子殿下のお姿を重ねてみたのだと思います。」

すでに、ブータンの新たな時代への航海は始まっている。

(報告者 ウゲン・ペンジョ、サムテン・ウォンチュック、リンジン・ウォンチュック)
(原文はhttp://www.kuenselonline.com/modules.php?name=News&file=article&sid=6336)

December 25, 2005

ボランティア事件、判決でず

12月24日
ティンプ地方裁判所は、11月1日の夜、日本人ボランティアが刺された事件の裁判をいまだに結審できずにいる。

 ナガシマ・ケンゾウ氏は、42歳。ティンプのメインストリートにあるハンディ・クラフトセンターの前で臀部を刺され、同夜、8針を縫う手術を受けた。
 この事件は、ディワリ祭の夜10時ごろ発生した。当時ナガシマ氏は徒歩で帰宅中であった。同氏の証言によると、ナガシマ氏と2人の少年が路上で口論をしている男女の側を通りかかった際、女性の方が突如大声をあげたという。
 ナガシマ氏は振り返り、側にいた2人の少年とともに、男性側にとめるように注意したという。すると、20代半ばのこの男性は短剣を取り出し、3人に襲い掛かった。2人の少年は後ろに逃げたものの、短剣はナガシマ氏を襲った。
 少年らは直ちに、ナガシマ氏を病院に搬入した。犯人の男性は病院で手当てを受けたあと、ナガシマ氏への傷害の現行犯で逮捕された。
 ナガシマ氏の証言によれば、同氏が携帯していたデジタルカメラの入った鞄、財布、携帯電話、時計、ベルト、ジャケットがなくなっているという。おそらくこれらはナガシマ氏を病院に搬入した少年のうちのどちらかが盗んでいったものと思われる。

(報告者Gopilal Acharya)
(原文はhttp://www.kuenselonline.com/article.php?sid=6370)

December 22, 2005

皇太子殿下、パロでナショナル・デーを祝福

2005年12月21日
ジグメ・ケサル・ナムゲル・ウォンチュック皇太子殿下は、パロで4000人の国民と共に98回目を迎えるナショナル・デーを祝福された。殿下は、ブータンがさらなる発展を遂げ、繁栄を維持していくためには一人一人によるさらなる勤勉な労働が不可欠である、と述べられた。

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写真)皇太子殿下とパロの人々

 皇太子殿下は、ご自身の懸念がブータン人の文化に勤勉に働く、という倫理感が欠如していることにあることを表明されている(ただし、農民と、農村部の人々は除く)。皇太子殿下は、勤勉な労働こそが、次世代の子供たちのために、より良い明日を築くことができる、とのお考えである。「私は、国民の皆に対して常に正直でありたい。とうのも、私は未来に限りない期待を抱いているからだ。しかし、勤勉に働かなければ、国王陛下が築いてこられた、ブータンの国としての基礎がまったく無駄になってしまう。」
 パロでの式典では、文化行事や、枕投げ、強者選手権などのゲームが執り行われ、10の地区から、公務員、軍人、僧侶、農民 が参加した。皇太子殿下のご参加、ということもあり、一連の行事は非常な盛り上がりを見せた。
 ある県職員は、すべての公職者たちは皇太子殿下のお言葉に耳を傾けるべきことを主張した。彼は、このお言葉に刺激を受け、ブータン人が責任を持ち勤勉働くための良いきっかけになると考えている。
 Luni Zhe地区の踊り手である、66歳のドルジがナショナル・デーで踊るのは14回目を数える。そんな彼にとって、新たな時代の象徴である皇太子殿下を目の当たりにすることは非常に光栄なことであり、それと同時に人々にも大きな影響を与えたであろう、と考えている。
 また、Woochu地区のサンゲイ・ドルジにとって、国家が大きな変化を遂げたこの日は、「複雑な気持ち」の日であった。「ナショナル・デーは、ブータン王国の成立を象徴している。つまり、われわれにとっては、ブータンの平和と安定を祝う日なのです。」
 皇太子殿下と祝いの席を共にすることを最も楽しんだのがパロの学生たちであろう。あるクラス6の学生はクエンセルに「私たちの未来の国王が私たちを気にかけてくださることがとても嬉しかった」と述べている。

コラム
トンサ・ペンロップ環境賞
 12月17日に執り行われたナショナル・デー祝賀式典において、皇太子殿下より、第1回トンサ・ペンロップ環境賞が、傑出した自然保護活動を行った故Thuji Dukpaに付与された。
 故Thuji Dukpaは、マナス王立公園にあるPhipsoo野生動物保護区の反密猟チームの指導者の地位にあった。今回の受賞の理由は「ブータンの自然環境、野生動物、生物多様性の保護に対する傑出した貢献、および彼自身の類まれなる指導者としての役割、プロとしての腕前、そして自己を排した任務の遂行」である。
 皇太子殿下よりのお言葉と10万ニュルタムの賞金は8歳の息子に付与された。
 Thuji Dukpa自身は2003年に職務中に死亡している。
 また、トンサ・ペンロップ奨学金はTshering Tempaに付与された。彼はOECDに加盟するいずれかの国における森林生態分野での修士課程への留学の権利を獲得した。大学院終了後、Tshering Tempaは、ブムタンに設立が計画されている環境森林専門学校の教授として着任する予定。
 ブータン環境保全信託基金は、環境保護活動に正当な評価を行うこと、かつ、環境保全を通じて社会福祉の増進を目指し、専門性を持った個人の育成を目的として、本賞を設置している。

(報告者:キンレイ Y ドルジ)
(原文はhttp://www.kuenselonline.com/article.php?sid=6361)

December 21, 2005

ティンプの建造物、地震に対する脆弱性露呈

2005年12月20日
 品質規格管理機構(Standard Quality Control Authority)の調査によると、ティンプの810にも及ぶ、建物は「G5 ランク」にしか満たない。これは、ひとたび地震にみまわれると、810の建物が崩壊する、ということだ。

 地震に対する脆弱性の調査は、ティンプ谷のデチェンチョリンからバベサに建つ4904の建物を対象に実施された。今回行われたのは、建築物をG1からG5に分ける作業で、G1レベルが耐震性強度の最高レベル、G5がその最低レベルを示している。
 調査の結果によると、2818棟がG4 レベル、、G3レベルが約915、G2レベルが約361棟となった。
 なお、王宮地区の建物、インド大使館、軍基地、ゾン、寺院、現在建設中の建物、仮設住居は調査対象外である。
 品質規格管理機構長のドルジ・チョデンによると、今回の調査および被害規模の想定は、近隣諸国でこれまで発生した被害のデータを下に、専門家により実施された。
 「私たちは、最悪の事態も想定して調査を行いました。」と、ドルジはいう。
 例えば、マグニチュード5.5、震源の深さ20km、震源地をティンプ市の北西30kmにおくと、86の建物が完全に崩壊するという。
 人的被害でいえば、地震が夜間に発生すれば4人の死者、72人の負傷者が発生する見込み。これが、昼間であれば、死者2名、負傷者は54名にのぼると想定される。
 また、マグニチュード8.2、震源地が市街地から3km南という、最悪の場合には、1212の建物が崩壊する。この場合の人的被害は、夜間であれば死者589名 、負傷者4572名、昼間であっても、死者374名、負傷者3247名にのぼる見込み。
 一連の想定は都市部の地震災害分析を行うリスク評価ツール RADIUS (Risk Assessment Tools for.
Diagnosis of Urban Areas against Seismic Disasters)を用いて行われている。
 また、地震に対する建物の脆弱性調査には、簡易視覚スクリーニング手法(Rapid Visual Screening )が用いられた。その際のデータには建物の、大きさ、奥行き、高さのみが使用され、他の技術的要素は考慮されていない。
 ドルジ・チョデンによれば、より詳細な地震に対する被害想定作成は緊急の課題であるという。
 「災害に対するリスクや脆弱性が想定される地域を特定することは、リスク軽減に向けた動きやインフラやライフラインの品質向上につながると考えられます」と、彼女はコメントを寄せている。
 また、このことはコスト面においても重要な示唆がある。彼女によれば「ある地域が危険であればあるほど、想定される支出も増加する」のである。
 現在、地学局は地層調査を実施中である。
 国連ボランティアの災害管理技術家のJaiganesh氏によると、多くの家には、植木鉢や重い物質等の非構造的要因も抱えている。また伝統的家屋のほとんどには、屋根に石が置かれている。 
 彼は、さらに非常口の欠如も加え、一連の要素が地震の際の潜在的被害要因になることを指摘している。

(報告者 ケサン・デマ)
(原文はhttp://www.kuenselonline.com/article.php?sid=6355)

国連、ブータンへの全面的支援を確認

2005年12月19日
12月5日、UNDPの在ブータン代表にニコラス・ロゼリーニ氏が着任した。彼によると、ブータンの発展政策において、当面の課題は増加を続ける政府開発援助(ODA)の水準の維持である、という。
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写真)ニコラス・ロゼリーニ氏

 彼によれば、ブータンは、ミレニアム開発目標、民主化、投資、組織強化などの当面の課題に対して、少なくとも向こう数年にわたって、継続的なODAの享受が不可欠であるという。
 「もちろん、この先いつかの時点で、ブータンは間違いなく自立を達成し、ODAを必要としなくなるであろう。しかし、当面は、現在のODA水準を維持する必要がある」。そのうえで、彼は国連はブータン国政府が社会・経済発展の目標を達成するためには協力を惜しまない」ことを表明している。
 また、ブータンはMDGs達成に向けて、良好な発展段階にあるという。
 「ブータンは国家として、教育や、保健医療サービスへのアクセスを向上させ、貧困線以下で暮らす人々を劇的に減少させることに成功してきた。」ともロゼリーニ氏は評価する。
 しかし、彼は、当面の課題として、ブータンが発展したものの、貧困はいまだに存在すること、特に収入の面において貧困にある32パーセントの人を救い、田舎部の人々の雇用を創出することの2点を当面の課題として指摘している。
 それに加えて、改善が望まれるのが母子保健と教育の分野である。
 ロゼリーニ氏は、民主化の進展に欠かせない、ジェンダー格差の改善、グッド・ガバナンス、財政面での分権化の分野において、UNとブータンが協力できると考えている。
 「われわれはこれらの分野における支援に加え、ビジョン2020の達成にも支援を惜しまない。」彼は、国連がブータンの発展と、国際社会の一員として確固たる地位の確立に期待することを表明している。
 ロゼリーニ氏はイタリア出身。イギリスのブリストル大学で経済学学士を獲得したのちに、ロンドン大学経済学修士獲得。その後国連にはいり、パキスタンやベトナムなどの発展途上国で、20年以上働いてきた。
 前任は、国連開発計画ニューヨーク本部の総務部、の副部長。

(報告者:キンレイ・ウォンモ)
(原文はhttp://www.kuenselonline.com/article.php?sid=6346)

December 19, 2005

新たな時代へ―国王声明に対する国民の反応

2005年12月17日(タシヤンツィ)
2008年の国王交代―国中の人々は驚きのあまり言葉を失ったに違いない。もちろん、国民は国王陛下から皇太子殿下に王位が継承されること自体は歓迎している。しかし、国王陛下はなぜこんなにも早急に退位されるのだろうか。
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写真) 試合をご観戦される国王ご一家

 12月17日国王陛下がこの声明を発表されたのは、タシヤンツィという最も僻地の県においてであった。ナショナル・デーを国王ご一家と共に祝福しようと集まった農民、遊牧民、ゴムチェン(僧侶)、教師、学生、公務員、計8,000人以上にも上る群集は当惑のあまり、言葉を失った。待ちに待ったこの日のために、老若男女が、数日間をかけて山道をやってきていたのである。そこで彼らを待ち構えていたのは、誰一人としてこれまでに味わったことのない強い衝撃であった。
 それにあわせて、国王陛下は、皇太子殿下が国王としての最大の能力を発揮するためには経験が重要であること、そのために、2008年以前に皇太子殿下に権力を移譲されることも発表された。そして、国王陛下の祈りとは、「ジグメ・ケサル・ナムギェル・ウォンチュックの治世においても、かわらずブータン王国に繁栄があらんこと、平和と幸福のもと国家がさらに発展してゆくこと、そして国民の掲げるあらゆる国家目標、希望、志が達成され、ブータン国民が更なる、満足感と幸福に満たされんこと」である。
 さらに、国王陛下が強調されたのが憲法の導入である。憲法導入の最大の目標は、安全保障、国家の主権、国民の関心事と領土を長期的に維持できる政治体制を構築することにある。そして、選挙に関しては次のように表明された。議会制民主制度および選挙制度の普及運動を目的として、選挙管理委員会が全20県に対して普及活動を行う予定である。そして2008年には議員を選出する第一回国政選挙が実施される。

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写真)この日はタシヤンツィにとって歴史的な日となった。

 国王陛下とご一家は、祝典に参加した住民に昼食を振舞い、一日を住民と共に過ごされた。khuru, sogsum, jigdumといった競技にも参加された。学生や地域の踊り手たちは仮面舞踏や伝統の歌・踊りを披露した。また、祝典のしきたりに則り、地元の指導者や住民を相手にした綱引きにも参加された。式典に参加した人々は口々に、その幸福の意をあらわにし、まるで夢のようだっと、コメントを寄せている。
 タシヤンツィという最も僻地にすむ、お年寄り世代は、この20年のまさに夢のような開発の進展を目の当りにしてきている。Womenang地区在住の57歳のサンゲイ・ドルジも、この短期間で県がめまぐるしく変化したのを見守ってきた一人である。「タシヤンツィはすっかり生まれ変わった。つい最近まで、私たちは塩を買いに行くのにも数日歩いていかなければならなかった。それが、今では病院が1つ、基礎診療所が7つ、26の僻地診療所がある。2605世帯に水道が設置され、コミュニティスクール16校、小学校7校、初級中等学校1校、高等中学校2校、高校2校があるのです。」

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写真) 群集に昼食を振舞われる国王陛下

 幹線道路が開通したのは、もっとも遅かったものの、今では計90kmにもおよぶ農道、県道、幹線道路が建設中である。そのほかのインフラでも18の橋脚、127の電話、銀行、郵便局、200のケーブルテレビが設備されている。タシヤンツィ県知事のドルジ・ノルブによれば、今年に実施された国勢調査では県人口は1万7千623人であったという。
 かつて、タシヤンツィはDapas族とPhops族の後進地と考えられていた。しかし、ある16歳の学生は、現在では状況はまったく変わったと考えている。「私たちは、専門性をもった、近代教育をうけた世代です。過去は過ぎ去り日時代。この先、タシヤンツィと他の研の間に格差はなくなっていくでしょう。」彼のいうとおり、ほとんどのブータン国民は封建制から近代国家への移行をみをもって感じている。
 そのようなタシヤンツィの地だからこそ、住民にとって、国王陛下およびご一家と共に過ごしたナショナル・デーには非常に大きな意味があった。式典の終わりに華を添えたタシ・レベの声は、タシヤンツィの谷を超え、新しい時代へと続いているようであった。
 Jamkhar村の69歳のChuni Zangmoも他の多くの住民のように、家をすっかり戸締りし、一家で二日間歩いて式典の地までやってきた。ブータン人の誰もが創であるように、自宅には国王陛下の写真があり、それは他の例に漏れず絹のスカーフで縁取られ、一家の宝である。そして、この日、一家は国王陛下に実際にお目にかかる機会に恵まれたのである。そして、国王陛下が彼女の近くまで来たその瞬間、彼女は目を閉じ、陛下のご多幸をお祈りした。
 Toetsho村の60歳のAum Tendiは「国王陛下のお言葉をお聞きしたとき、私は呆然としてしまいました。だけれどなぜか私は国王陛下はいつでも私たちと共にあられる、ということ事を自然と感じたのです。世の中は絶えず変化しいくかもしれません。しかし、国王陛下は私たちと共にあられます。」「陛下のお言葉と共に涙が出てきました。」これは、その場にいた多くの人が共有した感情である。「何が起こっていくかはわかりません。だけれど、私は希望を持ち続けます。」
 ケザンは友人と共に、祝典に参加していた。1992年に県として独立したタシヤンツィの住民にとって、2005年12月17日のほど衝撃的な日はいまだかつてなかったであろう。人々は、たった今耳にした言葉をかみ締めるように静かに言葉を交わしていた。「今まで、国民は陛下に65歳で退位されないようにお願いしていました。それが、今では陛下に65歳まで王位にとどまられるように懇願しなければなりません。」 と、ケザンはクエンセルに述べた。
 他の例に漏れず、ボンデリンの前地区長にとってもこのニュースは衝撃的であった。「まるで太陽が沈んでいくようだ。2008年とは、早急すぎる。ほとんどの人が陛下はあと20年は王位におられるように感じている。」そう口にすると、彼はウマの手綱を手に取り、会場を後にした。
 声明文が発表されると、ブータンの人々は信じられずに国中あらゆるところでこの話題が広まった。「こんなことは人類史上、いまだかつてなかった。外国にとってはこれは象徴的なニュースかもしれない。しかしブータンにとっては深い悲しみ以外のなにものでもない。」これは、クエンセルに情報の真偽を確かめようと電話をしてきた、あるティンプ住民のコメントである。
 それにもかかわらず、一日も終わる頃になると、人々は暗雲のなかの一筋の光を感じ始めていた。サンゲイ・ドルジは高校生。落胆する両親を尻目に、サンゲイ自身は陛下の超越した賢さに敬意を表明している。「陛下は僕たちの父親のようなお方です。父親はその地位を失うことはなく、どんなことがあっても子供を見捨てることはありません。そう考えれば、後悔すべきことなど何もないのです。」
 ブータンでの常識のひとつが、国王陛下のご決断を全面的に信じる、ということである―それがどんなに絶望的なものであっでもである。
 パロで教職につくある男性は次のようにクエンセルにコメントを寄せている。「私はただ自分自身を慰めようとしているだけなのかもしれません。しかし、私は陛下のご英断を全面的に信じることを決意しています。私は今のところ絶望はしていません。」。彼の同僚の女性教師は「前を向いて何が起こっていくのかを見るのは楽しみです。陛下のご英断がどのように広まっていくのかを私たちは目の当たりにしていくことでしょう。」
 タシは、夏をブムタンのクルテ寺を巡礼してすごし、冬を息子が経営するお店の暖炉の脇にすわりすごす81歳の男性である。「私の世代は、昔ある懸命な国王のあとをこれまた懸命な国王が引き継いだことを見てきました。トンサ・ペンロップは国王陛下のご子息であられる。国王陛下のお考えは、その後子息を通じて輝き続けるに違いない。皇太子殿下が、そのご治世においてもご助言を受けられるというのは、よい状況と私は考えている。」
 ボンデリンのタシ・ウォンチュックは30歳。彼は、今こそブータンの若い世代が国の発展を担う必要がある、と考えている。「これは偉大なる挑戦である。私たちは全力で新しい王を支援しなければならない」
 ヤラン地区のウゲン・ノルブは、国王陛下が権力の移譲に踏み切られたのは陛下ご自身が、皇太子殿下の能力を認められたため、と考えている。「国王陛下は若干16歳でその地位に就かれた。陛下はご自分が何をなさっているのかよくご存知のはずである。いつの時代も、息子は父親の意思を受け継いできた。今こそ、われわれこそが子供たちにその意思をつなげていくときなのである。」
 2005年のナショナル・デーは、老若男女を問わず国中のブータン人にとって、大きな衝撃であり人々は衝撃に飲み込まれている。この衝撃はあまりにも大きいので、国民一人一人がこのご決断の意味をしり、そして理解していくには少し時間がかかるかもしれない。しかし、まずだいいっぽとして、人々は新たな現実に向き合う必要があるといえよう。
 何にしろ、これは陛下によるご決断である。古くからの言い伝えによれば、国王陛下のご意思は山よりも重く、金よりも貴重なのである。

(原文はhttp://www.kuenselonline.com/article.php?sid=6345)
 

December 17, 2005

ナショナルデーによせて―国王陛下による声明文

2005年12月17日(タシヤンツィ)
(声明文はゾンカ語)

 今日、われわれはナショナルデーの良き日を迎えた。そして、今日をもってして、2002年に開始された第9次5カ年計画の終了まで残すところ1年半となった。この期間、われわれは幾度かの安全保障上の問題を乗り越え、国家として、さらなる安全保障の強化を達成してきた。
 
 

 現在実施中の政治体制改革および第9次5か年計画における開発計画により、われわれの福祉は非常に向上しつつある。来年には、タラ水力発電所計画が完成し、額にして毎年40億ニュルタムの収入がもたらされることになる。この発電所の収入だけでも、ブータン王国政府・国民共に非常に大きな利益を得るであろうことは自明である。
 国際社会において主権を保ち、独立国家であるための重要な要素のひとつが経済的な自立度合いである。経済的自立を達成し、みずからの足で立つようになること、これはいつの時代でもわれわれが国家として常に掲げてきた目標である。
 そのなか、私はひとつ非常に喜ばしいことを皆に伝えたい。それは、2007年までには、ブータンが国連の定める後発開発途上国のカテゴリーから脱するであろう、ということである。他の様々な国家が現在の発展レベルに達するまでに数百年を要したにもかかわらず、われわれブータンは開発計画を開始してから、わずか44年という期間で社会・経済、すべての分野において目覚しい発展を達成してきたのである。この期間を経て、われわれの国および国民がいかに発展し、国民の生活がどのように変化、向上したかは、われわれが最も知るところである。
 この成果は、政府が率いてきた政策および国民のたゆまぬ努力によるものに他ならない。この事実は、ブータン王国政府および国民が何よりも誇るべきことであろう。
 王国憲法作成にあたり、われわれは最大の関心を国家安全保障、主権、そして国民の関心の確保においている。それと同時に、変革後の政治体制が、国家の関心事を健全に遂行し、かつ国民の希望に忠実であるようにも重点がおかれている。憲法の絶対的な目標は長期的な視点でわれわれの国家と国民の志を追い続けることにある。
 私自身が各県を訪問し、実施している憲法に関する公聴会において、国民の最大の懸念はブータンに議会制民主制度を導入するのは時期尚早である、ということにある。国民もよく知っているとおり、われわれが県開発委員会を設置したのは1981年、地方分権化政策を開始した年である。また、地区開発委員会はその後10年を経た、1991年に設置されている。それと同時に、国民への権力移譲という方針の下、行政および財政権限は県開発委員会に付与されてきた。
 2006年、2007年には、選挙管理委員会により、議会制民主制度および選挙制度の普及運動が20のすべての県に対して実施される。地方分権化および国民への権力の移譲を開始して26年を経た今、私は、国民が自分たち自身の手で、グッド・ガバナンスを実施し、国家関心事を最大限に推進できる政府を選出可能であると、自信を持っていうことができる。国民の一人一人が、議会制民主制度の下第1回目の選挙が2008年に執り行われる、ということを認識しなければならない。
 それと同時に、トンサ・ペンロップが2008年に第5代ブータン国王として即位することをここに表明する。さらに、国王として最大限の能力を発揮し国に奉仕するためには、できる限り多くの経験が必要である。そこで、私はトンサ・ペンロップに対し2008年以前に責任の移譲を行う予定でいる。私はジグメ・ケサル・ナムギェル・ウォンチュックの治世においても、かわらずブータン王国に繁栄があらんこと、平和と幸福のもと国家がさらに発展してゆくこと、そして国民の掲げるあらゆる国家目標、希望、志が達成され、ブータン国民が更なる、満足感と幸福に満たされんことを強く願うばかりである。
 今日、ナショナル・デーというこの特別な機会において、私から、全20県の私のすべての民たちにタシ・デレの意を伝えたい。


(原文はhttp://www.kuenselonline.com/article.php?sid=6344)

December 16, 2005

BBS、5600万ニュルタムのTVセンター建設へ

2005年12月15日
ブータン国営放送(BBS)は、56万4千ニュルタムをかけて、過去最大のTVセンター改築工事を行う予定だ。
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BBS、TVセンターの模型

 このTVセンターが完成し、最新の放送機材および100キロワットの短波発信機が導入され、その上でインドの衛星放送とのリンクが完成すれば、BBSは、ニュース放送の質的改善、さらには国内全土への放送が可能となる。
 インドの援助を受けて建設される同センターは敷地面積1600平方メートルに及ぶ。同敷地内には、これまでのBBSにはなかった、マスターコントロール・ルーム、ニュース制作室、ナレーション室、裏方室、グラフィック製作部門室、技術者、記者、カメラマン、製作者用のオフィスが配置される予定。
 「テレビ部門とラジオ部門を分離する必要性は昔から強く感じられてきた」BBS経営者のMingbo Dukpaはいう。続けて同氏は、「このセンターの完成はテレビ番組の質的向上だけでなく、職員のプロ意識も向上にもつながる」と主張する。
 BBSは1999年に最低限の設備で創設された。当時、独立したTVスタジオを確保するために、テレビ局はラジオ局に併設する形で早急に立ち上げられたのである。BBS放送開始時の設備は30メートル四方の小さなスタジオ、それにティンプのサンゲガン(Sangaygang)に建てられた50キロワットの短波等のみであった。テレビ放映には強い周波障害を引き起こす短波が用いられたので、ラジオ放送は毎日、午後5時になると打ち切られていた。
 Mingbo Dukpa氏によれば、2003年1月、Chubachuのラジオ局内にあった100平方メートルの一室が現在のテレビスタジオに改築された。「この工事により、ラジオとテレビの同時放送の問題は一時的に解決されることとなった。」のである。
 ここ2年間でBBSはラジオ放送、テレビ放送双方において放映時間を拡大させてきた。それにより再び場所の問題は深刻化し、現在のラジオ局に200人の常駐職員が詰め込まれる状況に陥ってしまった。付け加えて、同氏はBBSテレビには有能な記者が不足していることを嘆いている。
 BBSの技術者長のSonam Tobgyalによれば、現在の建物はラジオ放送のみを目的として建設されているため、テレビ放送のための基本機材は皆無であるという。
 しかしながら、ひとたびセンターが完成すれば、BBSにはテレビ、ラジオが独立した編集・制作部門を持つことになる。
 ここ数年、首都ティンプが中継の唯一の基地局であったものの、現在ではブータン・テレコムのネットワークを利用してプンツォリン、パロまでその地域が拡大されている。
 BBS経営者によれば、遅くても2006年2月までに衛星中継とのリンクを完成させ国内全土からの中継を可能にする計画がある。
 インド政府は、さらに新しいテレビセンターに1億1900万ニュルタム相当の設備供与も計画している。その内訳は、8600万ニュルタムが100キロワットの発信機の購入および設置費用、1800万ニュルタムが向こう3年間の衛星使用量となる。援助の総額は2億8000万ニュルタムにのぼる。
 現在BBSの職員は総勢205名。40名が技術職、20名が記者、65名が製作社だ。今年はラジオ・テレビ双方の人員強化を目的として、記者・製作者部門で50名を新規に採用している。
 テレビセンター建設の起工式は12月11日に実施された。

報告者:Gopilal Acharya
(原文はhttp://www.kuenselonline.com/article.php?sid=6332)

ブータン研究所、GNH指標作成へ

2005年12月10日
国連開発計画(UNDP)は、国民総幸福量(Gross National Happiness)(=ブータン開発指標)の作成に向け、2つのプロジェクトへの資金供与を決定した。そのひとつが、GNHフォーラムの開催、もうひとつが若い世代への啓蒙活動である。
 

12月8日ティンプで行われた契約式の場で、内務文化省大臣のリョンポ・ジグミ・ティンレイは、「GNHは今こそ、概念的なレベルを超え、実際の政策形成レベルでも話し合われるべき時」にある、とコメントしている。
 大臣は、指標が開発計画・政策の目安として果たす役割を強調する。つまり、指標の存在が、地方における住民自身による開発計画策定、グッド・ガバナンス、バランスの取れた総合的な開発計画を推進していくうえで、意義深いものとなる、考えているのだ。
 大臣は、フォーラムの立ち上げメンバーには、カナダで実施された第2回GNH会議に派遣したブータン人を動員する意向だ。その後に、段階的に国内および国際的な専門家、思想家、そして実務家に参加の枠組みは拡大されていく予定。
 同大臣によれば、カナダで実施されたGNHに関する国際会議に出席したブータン人使節団は、GNHの奥深さ、そして、重要性を深く認識しているという。だからこそ、「われわれが、今この概念に真剣に取り組み、特定の政策や開発現場に応用しなければ、GNHとは単に概念として国内外の注目を浴びているだけにとどまってしまう。」のである。
続けて、同大臣は若者がGNHおよび憲法発布に伴いもたらされる新たな政治体制へ深い理解をもつことも重要だと考えている。そこで、もうひとつのプロジェクトではブータン人の若い世代の意識改革が目指されている。具体的には、中学生から職業訓練学校まで幅広く、数百名単位で国中の学生を集めた会議の開催が考えられている。

国連開発計画の拠出は額にして32万5千米ドル。ブータン研究センターは幸福の指標を2006年までに、GNHの指標を2007年までに実施することが求められている。

報告者:キンレイ・ウォンモ
(原文はhttp://www.kuenselonline.com/article.php?sid=6312)