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April 23, 2005

ブータンの先祖をたどる

ブータン人の起源の解明を目指すブータン遺伝・多様性プロジェクトの第1レポートが発表された。同レポートにおいて、中央ブータンにあるブラックマウンテンに居住するモンパ族と南西部に居住するロクパ族が遺伝学上非常に特徴的で、ブータン最古の集団であることが明らかにされた。

 オランダ、Leiden大学のPeter de Knijff教授のチームによれば、DNAの常染色体、およびSTR分析(1−4個からなる延期の配列)分析と染色体分析)が、それぞれの民族の歴史と習慣の解明に貢献したという。両民族は他の集団と異なるだけではなく、それぞれが非常に特殊であるという。
 さらに同教授によれば、「両民族は、遺伝子、言語、そして外見上も明らかに異なる。」のである。また、このことは、2民族が異なる起源を持つ可能性を示唆しているという。「しかし、この研究を進めるためには比較のために、ブータン周辺の民族のより多くの情報、データが必要であるという。」
 2003年、本研究のために、941の血液サンプル(うち764サンプルが男性、174サンプルが女性)17のコミュニティから収集された。
 サンプルとなったのは、ンガロップ人(ngalops),シャーチョップ人(sharchops),ブムタン人(bumthaps), khenpas, doyaps, mangdep, クルテ人(kurteop), タシヤンツィー(Trashiyangtse)のドザラ(dzala)コミュニティ,ブラックマウンテンのモンパ族、南西地域に住むlokusを含むコミュニティである。
 採集された血液サンプルのテストはオランダのLeiden大学、イギリスのLeicester大学、Sanger大学において行われた。レポートによれば、Mangdep族を除くブータンの14民族は遺伝子分析ではほとんど違いが見られないという。もちろん、わずかな違いは認められるが、monpa族やlokpu族ほどではない。同教授は「われわれは現段階ではその理由はわからないが研究を進めるにあたり徐々に明らかにしていきたい。」という。
「本研究の理解には多少の困難が伴う。というのも現段階において、様々な不明な点が生起しているためだ。」
 しかし、de Knijff教授は研究が進めば事態は改善される、と楽観的だ。「われわれはすでに5万に及ぶ遺伝子分析を行った。完全な結果が出るまでにおそらくもう10万の分析が必要である。」という。
 同教授によれば、すべての遺伝子情報を慎重に保管するため、研究室にデータベースプログラムが導入された。「われわれは非常に慎重にならなければならない。というのもコンピュータデータベースは個別の遺伝子情報保存には弱点があるからだ。」
 彼はDNAサンプルの貴重性、そして今後の研究のためにも保存されるべきと主張する。この先、ブータン人科学者自身の研究に本データは貢献しうるであろう。
 ヨーロッパ科学基金とブータン政府ゾンカ開発機関の共同出資で、2006年ころにブータンにおいて本調査の全容が明らかにされる見込みだ。当面は過去がどのようであり、それがなぜ生起したかを明らかにするため膨大な調査研究が必要と認識いえよう。
 
(報告;Karma Choden)

April 22, 2005

13歳以上、U—13の試合に出場

先日までバングラディッシュであったU-13サッカー大会を開催したアジアサッカー連盟(AFC)は規定外の選手を参加させた国への対応に頭を悩ませている。

「連盟は試合後の会議でU-13の試合に年長者を出場させた国に対して遺憾の意を示した。」ブータンサッカー連盟の若手指導者コーチのChokey Nimaはいう。というのも、ブータンを除くグループCのネパール、バングラディッシュ、パキスタン、スリランカの4カ国が「大きくて体格の良い」若者を参加させていたというのだ。
 連盟は参加国に対してより「正直」になるよう、厳格な忠告を行った。また、連盟はこの大会は祖国を離れ、外国選手と対戦をするという教育的意味を持っていた、とChokey Nimaは本誌に語った。
 先週、終了した本大会に、ブータンは18人のU-13を送った。ちなみにこの大会はAFCがその46の加盟国にむけて開催した初の事業である。
 平均気温が40度を超える炎天下、ブータン選手は背が高く、体格も良く、年零も上の相手を果敢に攻めた。結果は10試合中、3引き分け、7敗だった。
 その結果にもかかわらず、彼らの健闘は大会を非常に沸かせ、AFCはこの若きブータン人サッカー選手たち、一人一人に健闘賞を授与するにいたった。
 
(報告;Bishal Rai)

April 12, 2005

Gomphu Koraの伝説

タシヤンチー(Trashiyangtse)のチェチュには毎年何千人もの人々が参加する。近年ではその最大の魅力はツェチュとともに盛んになってきたナイトライフと神秘体験の習慣にあるようだ。

 Gomphu Koraは重要な聖地であり、偉大なるインド経典の聖人でブータンに仏教を伝えたグル・リンポチェが3日間にわたり瞑想したと信じられている岩の洞窟がある。
「東ブータンで最大の神聖な行事の一つであるこの祭りは、グル・リンポチェが予言したとおり、今日まで400年にわたり続いてきました。」Chingkulaの世話人はこう述べる。
世話人によれば、Gomphu Koraの伝説は9世紀までさかのぼるという。当事、ラサの王がサムチン(Samzhing)ラカンという名の寺院の建立を欲したのである。
その命を受け、数百人の男たちが日々建設に従事した。それにもかかわらず、建設作業はいつまでたっても進展しなかった。というのも、日中ひたすら建設した部分は、夜になると不思議な力でいつも破壊されていたためである。
 そこで、王はKhepa Baru Tsangという男を呼びたてた。この男は無限大の創造の力を持っていると言われていた。しかしそのKhepa Baru Tsangの力をもってしても、状況改善は不可能であった。そこで、彼はパドマサンバヴァか、聖なる力を有する者の助力を得るように王に進言した。
 王は直ちに4人の高僧をインドで瞑想していたグルのもとへ遣わせた。グルは、寺院建設を阻む精霊を呼び出すべく、5指を使った不思議なマスクダンスを編み出した。そして、精霊がマスクダンスに気をとられているうちに、グルはサムチン寺院を建立したのである。
 このダンスはAcho Lam Chhamと呼ばれ、今日ではShingkhar Lauriにすむ人たちのみに受け継がれているという。グルは寺院に供える聖物として、ラサの湖のそこに隠されているノルブ(宝石)を求めた。そのために、チベットにいたグルの弟子の一人がノルブの入手に名乗りを上げた。彼は海の魔物たちがうようよする湖に飛び込み、その魔物たちに対抗すべく自身を竜の姿に変えた。
 1週間が過ぎたころ、弟子が取ってくるであろうノルブを一目見ようと大勢の人々が湖の周りに集まった。まさにそのとき、彼は口にノルブをくわえ湖から現れんとしていた。その瞬間、群集の中のある女が恐怖のあまり叫び声をあげた。というのも、湖中に見えたのは、まだ半分竜の姿をとどめた弟子の体だったからである。弟子はその叫び声に驚き、なんと、ノルブを湖に落としてしまった。ノルブは一度きりしか湖から引き上げることのできない事実を知っていた弟子は怒りにわき、その姿を悪魔にかえ湖に集まっていた人々を飲み込み始めた。
 ラサの洞窟で瞑想をしていたグルは、騒ぎを聞きつけるとすぐに南の方角へと飛んでいった悪魔を追った。グルはチベットからGomphu Koraまで、悪魔を追い続けてきたとされている。悪魔はGomphu Koraの寺院のそばにある巨大な洞穴の中に消えていった。グルはその洞穴の入り口に座り、三日間にわたり瞑想を行った。そして、悪魔が洞窟から出てきたとき、グルはその後を追い回し、地に押さえつけた。二人がお互いを倒し、捕らえようと戦う巨大な影が洞窟に映し出された。
 戦いの後、ついに悪魔がたおれると、グルは「一年に一度、何千人もの人々が幸福な気持ちをいだいて、Komphu Koraに集うであろう」と、予言した。
 その後グルは寺院から200メートルほど丘を登ったところにあるKapaliphuで、三ヶ月にわたり瞑想を行った。
その洞窟にはもうひとつ不思議な話がある。あるとき、チベット国王のThresong Deotsenが死の床で、永遠の命を与えるよう、グルに懇願した。
 そこで、グルは弟子の一人であったNanam Dorji Dudjomに、現在のネパールにあるDragphug Maratikaまで、不死の薬が入った聖杯を取ってくるように命じた。グル自身もMaratikaでその水を飲んだ後、不死の身を得ていたのである。
 しかし、運命の歯車とはうまく回らないものである。Nanam Dorji DudjomがGomphu Koraまでたどり着いたとき、王は息を引き取った。しかし、グルはその洞窟で聖杯を用いて儀式を執り行った。今日には縁起のよい日にはその洞窟の割れ目から水が滴り落ちる、と信じる人々がいる。その水はまさに聖杯からこぼれた水である。
 Gomphu Kora寺院はシャプドゥン・ンガワン・ナミュゲルの祖父にあたるGyalsey Ngagi Wangchukによって建立され、Terton Pema Lingpaが清めの儀式を執り行った。
 Gomphu Koraのツェチュは今日まで残り、毎年、三日間にわたり続く。祭りには、数千人もの人がさまざまな地から集まり、寺院や洞窟の周りを巡回する。
 祭りの期間中、人々は悪魔がグルの攻撃から逃れようとして通った道をすり抜けようとする。というのも、もしこの道をすり抜けることができなければ、そのひとは罪人であることを意味するからだ。
 若い男たちにとって、祭りは自らの鍛えぬいた身体を披露するときだ。よって、砲丸投げなどのさまざまなゲームが行われる。300KGもする石を肩に乗せてはこび、寺院の周りを歩くゲームもある。これは、自らの強さと、寺への信仰心を示すものである。
 また、不妊に悩む女性がこの石を運ぶことができれば、子宝を授かる、とも信じられている。
 1995年には新しいグルにTshengye Thongdroelが任命された。タシガンからおよそ22kmの地にあるDrangmechhu一体に広がる寺院とその建造物も修復された。1993年には寺院の前庭を平地にして、一日続くマスクダンスの祭りが始められた。
 「もし悪魔が少しでも生き延びていたら、この世界に存在するものは誰もいなくなっていました。3日間に渡る祭りはグル・リンポチェを尊び、命を慈しむ機会なのです。」と寺の住職はいう。
 
報告:Samten Wangchuck

April 11, 2005

南アジアでの観光促進

ユニークで多様性に富んだ場所、といえばブータン、ネパール、インド、バングラディッシュであろう。さまざまな旅行者たちが遠く離れた異国の地、人々、文化、渓谷、滝、とヒマラヤの山々が織り成す「パラダイス」に、魅了されてき続けてきた。

 南アジア諸国にはまだまだ隠された魅力が沢山ある。そしていま、ビーチや大都市でのありきたりのバカンスに満足しない旅行者たちが、その魅力を世に広めつつある。世界観光機関(World Tourism Organization)は2020年までに、ブータンと近隣諸国を含む南アジアをおとずれる観光客は1900万人に達すると見込んでいる。
そのような予測と、観光収入により経済発展の促進をたくらむ南アジア諸国は自国の魅力を最大限に活かそうと必死である。さまざまな地域が航空会社やホテルのような、ブランドを確立しようと、近代的なマーケティングのあらゆる手段を駆使している。その波に乗り遅れまいと、ブータン、ネパール、インド、バングラディッシュは南アジア地域経済協力計画のもと、共同して地域の活性化にむけて冊子を2冊刊行した。ひとつは「自然文化アドベンチャー」であり、もうひとつは「仏教の心」である。また、付録としてお祭りや特別な行事予定が書き込まれたカレンダーつきである。
 本を開けてみると、それはまるでスーパーマーケットの棚のようだ。それも当然のことで、すべての市場財がそうであるように、観光地も独自の魅力的な手法で顧客を引き寄せる必要があろう。
 本には、魅力あふれるツアープログラムが写真つきで載せられている。中でも目を引く冒険が、ヒマラヤトレッキングだ。このトレッキングは古い交易路を、雪で覆われた山々の稜線が空の色と溶け合う景色のなかを進んでゆくコースだ。
 ヒマラヤ大連邦のトレッキングでは山々に加えてネパール、ブータン、インドの人々の居住地域に行くコースもある。このほかにも、登山、野生動物観察、象にのった冒険、バードウォッチング、カヌー、マウンテンバイク、気球旅行、洞窟探検、とさまざまなプログラムがある。また文化体験やチェチュのツアーも、もちろん含まれている。
 観光客、巡礼者を問わず、興味があれば精神旅行を楽しむこともできる。このツアーでは仏教の重要地であるブータン、インド、ネパール、バングラディッシュにいくことができる。どれをとっても、この本は旅行者にとって非常に魅力的な広告になるであろう。
 
Kencho Wangdi